Claudeの蒸留と、あまりにも大きな自爆
正直に言うと、私は一時期、「やっぱり中国はすごいのではないか」と思いかけていた。
アメリカによる半導体規制があり、最先端GPUを自由に入手できない状況に置かれている。それにもかかわらず、DeepSeekやQwen、Kimiといった中国系のAIが次々に登場し、性能面でもClaudeやGPTに迫っているように見える。
「GPUを制限されても、ここまでのAIを作れるのか」
そう考えると、単純に技術力の高さを感じてしまう。
もちろん、実際には中国へのGPU輸出は全面的にゼロというわけではなく、対象となる高性能半導体に厳しい輸出管理やライセンス制限がかかっているという話だ。それでも、最先端の計算資源に大きな制約があることは間違いない。米商務省も、中国向けの先端半導体やAI学習用コンピューティング資源を規制してきた一方、2026年には一部製品について条件付きの個別審査も行っている。^1
そんな環境で、欧米の一流AIと同等に見えるモデルを作った。
これはかなり凄いことだと思っていた。
もちろん「蒸留」という手法を使った可能性はある。蒸留とは、より高性能なAIに大量の質問をして、その回答や推論の仕方を別のAIに学習させる方法だ。大きなモデルの能力を、より小さく安価なモデルに移す技術であり、蒸留そのものは違法でも悪質でもない。AI業界では普通に使われている技術だという。
しかし、問題はその規模とやり方だった。
2026年2月、Anthropicは、DeepSeek、Moonshot、MiniMaxの3社が、約2万4000の不正アカウントを使い、Claudeに対して合計1600万回以上のやり取りを行っていたと発表した。目的は、Claudeの推論能力やコーディング能力などを抽出し、自社モデルの改善に利用することだったという。^2
さらに9月には、米国のNSA、FBI、CISAが、中国系AI企業による大規模な蒸留活動について共同勧告を出した。そこでは、DeepSeek、Alibaba、Moonshot、MiniMax、StepFun、Z.aiなどが、2024年末以降、アメリカの先端AIモデルから能力を抽出していたと指摘されている。中国側はこの主張を否定し、「蒸留は多くのAI企業が行っている一般的な手法だ」と反論している。^3
ここまでは、まだ「中国企業がClaudeを研究材料にしていた」という話である。
それでも私は、「蒸留を使ったとしても、実際に使えるモデルに仕上げるには技術が必要なのではないか」と考えていた。
そこまでは、まだ理解できる。
蒸留したデータを整理し、必要な回答だけを選び、学習に使える形へ変換し、別のモデルを訓練する。さらに、計算資源の少なさを補うために、モデルの構造や学習方法を工夫する。
そこには、一定の技術力が必要だろう。
しかし、今回明らかになった内容を見て、私は別の意味で驚かされた。
なんと一部の中国AI企業は、自分たちのAIを使っていると思っていた顧客の質問を、裏側でClaudeへ転送していたというのだ。
Anthropicの報告によれば、MoonshotはKimiを使っているはずのユーザーの質問をClaudeに送り、Claudeの回答をKimiの回答として表示していた。DeepSeekについても、自社モデルを使っているユーザーの一部のリクエストをClaudeへ中継していたとされている。しかも、その過程で顧客の内部文書やソースコード、認証情報、監視映像などの機密データが外部のAIサービスへ送られていた可能性があるという。[^4]
これは、あまりにも大きな自爆ではないだろうか。
「中国AIはClaudeに追いついた」と思っていたら、実際にはClaudeを使って自社AIを鍛えていた。
それだけなら、まだ競争の一環と言えなくもない。
ところが、その自社AIを使っているユーザーのデータまで、裏側でClaudeに流していた。
つまり、ClaudeをコピーするためにClaudeを使い、そのうえ自分たちの顧客情報までClaude側に渡していたということである。
これは「中国AIがすごい」という話とは、かなり違う。
むしろ、技術競争に勝とうとするあまり、顧客の信頼、データの安全性、サービスの透明性を自分から投げ捨ててしまったように見える。
私はもともと、中国AIを使うことには抵抗があった。
性能が低いからではない。むしろ、性能が高かったとしても使いたくなかった。
入力した情報がどこへ送られるのか分からない。企業の内部情報や個人情報が、別の場所で学習に利用されるかもしれない。中国政府や関連企業との関係も不透明だ。
もちろん、アメリカ企業のAIなら絶対に安心というわけではない。欧米企業にも、データ利用やプライバシーをめぐる問題はある。
それでも今回の件は、単なるデータ保護の問題を超えている。
自分たちのサービスを使っているユーザーに対して、「あなたはいま自社AIを使っています」と見せながら、裏側では別会社のAIを使っていた。しかも、そのデータを自社モデルの学習にも利用していた可能性がある。
これが事実なら、問題はAIの性能ではない。
企業としての誠実さの問題である。
私は今回、「中国はやっぱりすごい」という感想を改めることになった。
正確に言えば、中国に技術力がないと思ったわけではない。限られた計算資源で効率的なモデルを作る能力や、製品化の速さには、確かに見るべきものがある。
ただし、それは「完全に独自の技術でアメリカのAIを追い抜いた」という話とは違う。
先端モデルの出力を大量に収集し、推論能力を抽出し、さらにユーザーに説明しないまま別のAIへリクエストを転送していた。
それを見てしまうと、「中国AIがすごい」というより、「そこまでして追いついたように見せていたのか」という印象になってしまう。
結局、今回のニュースで一番印象に残ったのは、中国AIがClaudeと同等だったことではない。
Claudeを利用してClaudeに近づこうとし、その過程で自国企業や自国ユーザーの情報まで外部へ流してしまったことだ。
これは、技術的なショートカットというより、信頼を犠牲にした近道である。
そして、その近道の先で、自分たちが何をしているのかを暴露されてしまった。
これを私は「中国品質」と呼びたくなる。
ただし、ここで言う中国品質とは、中国人全体の性質という意味ではない。規制や監督が不十分で、結果さえ出せば手段が問われにくく、顧客のデータや説明責任が後回しになる企業文化や制度のことである。
AIは、性能だけで評価するものではない。
どれだけ賢いか。
どれだけ安いか。
どれだけ速いか。
それだけではなく、どこで作られ、何を学習し、ユーザーのデータをどう扱い、運営企業がどれだけ正直なのかまで含めて評価すべきだ。
そう考えると、今回の件で分かったのは、中国AIがアメリカAIを完全に追い抜いたということではない。
むしろ、まだ追いついていないからこそ、Claudeを大量に使い、コピーし、最後には自分たちのサービス利用者まで巻き込んでしまったという現実である。
「中国はやっぱりすごい」と思いかけた自分が、今回のニュースで考えを改めた。
すごかったのは、中国AIの独自性ではない。
自分たちで自分たちの信用を壊してしまう、その規模の大きさだった。
参考:

